【書評】確かに学校って禁止だらけだったよね。「すべての教育は『洗脳』である〜21世紀の脱・学校論/堀江貴文」

#不登校は不幸じゃない ブームもあって

学校は洗脳機関なのでしょうか?

今この記事を書いているは、もうすぐ夏休みが終わる頃です。

最近Twitter上で「#不登校は不幸じゃない」というハッシュタグで、子どもの不登校についての議論が巻きおこっています。

「学校は何のために行くの?」

という話題は僕らが子供の頃からあったのですが、現代では更にその回答に詰まってしまう親が増えているんじゃないでしょうか。

ホリエモンの本「すべての教育は洗脳である」も、学校に行く意味を更に考えさせられる内容になっていました。

果たして学校は洗脳機関なのでしょうか?

今回は”親目線”でこちらの「すべての教育は洗脳である」を読んで、考えたことなど書いていこうと思います。

書評者筋トレ薬剤師もみ プロフィール

・今までに読んだ育児書の数…10〜15冊

・息子1人、2才(とっしーぼーて)

・読書…月に1〜4冊

↓今回読んだ本はこちら↓

「知識」と「常識」の違いについて

学校が教えることの9割は「知識」ではない。

〜中略〜

学校はただ、ゆがみきった「常識」を植え付けるために存在する機関なのである。

ここで「知識」と「常識」の違いについて触れておこう。

知識とは、原則として「ファクト」を取り扱うものだ。主観の一切入り込まない事実(ファクト)にもとづく知。それが知識である。

一方、常識とは「解釈」である。主観の入りまくった、その時代、その国、その組織の中でしか通用しない決まりごと。それが常識である。日本でよく見られる儒教的な道徳規範などは、まさに「常識」の最たる例だ。

20ページ

世代が違えば常識が違うのに、学校で親世代の常識を教えるなんて確かにナンセンスですね。

「常識とは、十八歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう」—————アインシュタイン

このアインシュタインの言葉も好き。

とは言え、お互いの常識を知り、理解することも大切だなと思いました。

孫が北枕で寝ておじいちゃんにめっちゃ怒られも、「あ、この時代の人はそういう常識だったんだな」と思えますからね。

逆に僕らは、下の世代に自分たちの常識を押し付けて「最近の若いものは‥」とか言わないようにしないといけませんね。

今僕らが常識だと思っていることが、上の世代にとって非常識だと思われているように、僕らの下の世代にとってもきっと非常識になるんですから。

国などなくても生きられる!

今やインターネットという万能の武器がある。インターネットさえ使えれば、日常の大半の問題を即座に解決できる。

移住先が少なくとも先進国ならば、住む場所によって現代人の生活様式が決定的に変わることはない。これは、実はすごいことなのだ。

インターネットがもたらしたものについて、「国境がなくなった」と考えている人は多い。

遠い外国の情報を瞬時に、リアルタイムで入手できるようになったと。

しかし、インターネットがもたらした本当の衝撃は、国家がなくなることなのだ。

「日本に住む日本人である」ことよりも、「インターネットがつながっていること」「Amazonの配達が届く場所であること」「スマホの充電ができること」の方が、日々の生存戦略に関わってくる。

37ページ

深い洞察面白いです。

「ネット環境とスマホがあれば生きていける。」

これは強く思います。

未来は何が起こるかわからないので、どこでも生きていけると思えるのは強みですね。

息子が大きくなる頃には海外で仕事なんて、ごくごく当たり前になっている可能性があるので、今から心の準備をしておかないといけません。

「お父さん、オレ、中学卒業したらスペインに行くから」

息子がそう言ってきたら、僕の子育ては成功したと言えるでしょう。

手元になくてもいい、という革命

インターネット登場以前における豊かな人生の条件は、なんといってもものを所有、ストック量だった。

お金や土地、家、車など、みんなが欲しがるものをどれだけ多く手元に置いているか。

これが社会における絶対的なステータスであり、人の幸福度を左右する重大な事項だったのである。

しかしインターネットの登場によって、この価値観はすでに崩壊している。1番大切なのは、ものではない。情報だ。

60ページ

これは激しく同意です。

僕は数年前から妻の影響でミニマリストな生活に切り替えました。

僕はお金も、土地も、家も、車も持っていませんが、幸福度は持っていた頃より高くなっています。

ミニマリストと、インターネットの発達した現代は非常に親和性が高いように感じます。

物も情報も、必要なときに必要な時だけ安価にアクセスできるからです。

僕の親は昔ながらの価値観の持ち主なので、「家買え」「車買え」って僕に言ってきますが、20年後には僕が必要だと思うものも息子世代には必要ないものかも知れませんね。

世代が変われば価値観も大きく変わる。気をつけないといけませんね。

インドがIT大国になった理由

ヒンドゥー教は、信者に「親の職業を世襲する」ことを強制する。

ところが、インターネットの登場がその構造に風穴を開ける。

実はカースト制度は、新しい職業については寛容なのだ。

つまり、低いカーストの人間が政治家になることは許さないが、20世紀になって初めて登場したIT産業に関わることは許すのである。

66ページ

インドの若者は本当に良かったね!!

「どれだけ優秀な人でも、親がトイレ掃除の仕事をしていれば、自分もその仕事に就かないといけない」って本当に罰ゲームですよね。

そりゃもう必死にIT業界でがんばりますわ。

インドは2050年までに世界3位の経済大国になるそうです。

もう全然インドをバカにできないですね。。

「お父さん、オレ、中学卒業したらインドに行くわ」

って息子が言ってきても、驚かないように情報をアップデートしておかないといけないですね。

筋トレ薬剤師もみ

インドに「本当の自分」を探しに行くならやめとけよ!

「禁止」だらけの学校生活

親、教師、世間の大人たち。

これらの人々は、子供や若者の「没頭」を極端に嫌う。

「没頭」とは欲望の開放であり欲望はコントロールできない、という理屈からだ。

では具体的に、学校はどんな手段を使ってその洗脳を行い、すべての子どもをただの凡才に仕立て上げようとするのか。

「禁止」である。

刑法から信号機まで、社会に存在するすべてのルールは「禁止令」という形で通達される。

そしてご存知のように、学校には数多くの校則があり、明文化されていない「常識」というルールが存在する。

〜中略〜

「禁止ルールに基礎づけられた学校教育の中で、人は自分の中の「好き」や「快」にしたがって生きること自体を「悪いこと」だと思い込む。

その結果、自分の没頭する力に強烈なブレーキをかけ、身動きがとれなくなってしまうというわけだ。

僕には、「好きなことに打ち込むことは悪いことである」という価値観はさっぱり理解できない。

95ページ

自分のこれまでの人生を思い出してみると、確かに先生や親による「禁止令」によって僕たちは何かに没頭することを断念させられてきました。

そしてそれは社会に出たあとも同じように続いています。

禁止、禁止、禁止。

しょうもない遊びに没頭している2才息子を見ると思うんですよね、

「ああ、これが本来人間のあるべき姿なんだ」って。

とっしーぼーては一時期「ままごとトントン」にはまって1日中野菜切ってましたから。

朝起きてトントン、保育園から帰ってすぐにトントン、お風呂から出てから寝るまでずっとトントン。

すごい集中力でした。

こういうのをなるべく禁止せずに、あたたかく見守っていきたいですね。

筋トレ薬剤師もみ

でもYouTubeはダメだぞ

まとめ

この本を読んでると、もうなんか

「学校は行かなくてもいい」から

「学校は行くとむしろ害」

ぐらいな感じになってきました。

とっしーぼーてが「学校行きたくない」って言ってきたら、まあ、「別に行かなくていいよ」って言っちゃいますね。。

でも、例えば僕が「会社行きたくない」って言っても、それは代替案がないと実行出来ないこと。

学校は行かなくていいけど、代替案を一緒に考えてあげないといけないですね。

筋トレ薬剤師もみ

ニートはダメだぞ

↓今回読んだ本はこちら↓

 

追伸

最後にブログを読み返していたら、自分の吹き出しコメントが全部「禁止」で笑ってしまいました。

筋トレ薬剤師もみ

「禁止」はダメだぞ