「子供が好きなことや得意なことを伸ばそう」
という風潮がある。
実行するのは簡単そうにみえて、実は難しい。
現代の多くの親が賛同しているようだが、ほとんどの場合は次の注意書きが抜けているように思う。
(※ただし、親の認めたこと、世間的に恥ずかしくないことに限る。)
親が素直に応援できるのは、勉強やスポーツなど、世間からよしとされていることだけだ。
もしも子供がハマったことが、世間的には冷たい目で見られ、遊んでいるだけと思われるようなことだったら?
そんなことを頑張るのは、親だけでなく、子供にも想像を絶するほどの覚悟がいる。
まさに無理ゲーである。
そんなことを思い知らされた1冊を紹介しよう。
梅原大吾著「勝ち続ける意志力」である。
目次
プロ格闘ゲーマー梅原大吾を知っているか?
ゲームをやらない人にとってはピンと来ないかもしれないが、「ストⅡ」を毎日やっていた男子には胸を熱くさせるものがあると思う。
若干17歳にして「ストリートファイターZERO3」というゲームで世界一になった日本人がいる。
その後も国内や世界で勝ち続け、Wikipediaの主な大会戦績は何度かスクロールしないと見きれないほど縦に長く伸びている。
勝ち続けるプロ格闘ゲーマー、それが梅原大吾(@daigothebeastJP)だ。
背水の逆転劇
彼の最も有名な対戦動画は、2004年にカルフォルニアで行われた世界大会での準決勝の試合だ。
この試合は後に「背水の逆転劇」「37秒の奇跡」言われるようになり、動画の再生回数がギネス世界記録に認定されている。
使用キャラクターはケンで、相手の攻撃をガードしてもゲージが削られて即KOという、まさに「背水の陣」からの逆転劇である。
男子やゲーム好き女子は胸を熱くして見てほしい。
さて、そんな梅原大吾氏の著書「勝ち続ける意志力」は「仕事術」して書かれている本だが、ぼくは「子育て術」の本だと思った。
この本には子供の好きなこと、得意なことを伸ばす難しさが詰まっている。
特に、今の時代は10年先もわからない。
ユーチューバーやアプリ開発など、10年前にはなかった職業が次々と誕生している。
そんな激動の時代の親のメンタリティ、そして子のメンタリティを学ぶ上で大変に役に立つ内容になっている。
好きなことを伸ばすには、本人の覚悟、そして親の覚悟の両方が必要だ。
どんな覚悟が必要か、考えていきたい。
①本人の覚悟
孤独な少年時代
梅原大吾の少年時代は孤独だった。
「好きなことをがんばる」
と決めたものの、それがゲームだったばっかりに、周りの友達との距離は開いていった。
周りの友達は野球やサッカー、受験勉強なんかを頑張っている。
教師や周りの大人からは「スポーツや勉強に打ち込むべきだ」と言われる。
「ゲームを極めると決めたものの、不安が払拭されることはただの1度もなかった」
と、自信を持ってゲームに打ち込んでいたわけではないことが著書で語られている。
自分の好きなことをがんばっていた彼は、誰からも理解されることもなく、誰よりも孤独だったのだ。
友達の基本原則
彼はゲームをを頑張ることで、「友達の基本原則」を失っていった。
■人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ
■残酷すぎる成功法則
で紹介されている「3つの友達の基本原則」うちの1つに、「類似性の法則」というのがある。
人は誰でも自分と似ている子を友達に選ぶというものだ。
趣味が一緒、部活が一緒、年収が一緒、ライフステージ、家族構成が一緒などなど…。
今の自分の周りの友達を見渡すと、必ずといっていいほど共通点が多いだろう。
「価値観が一緒」というのは最も大事な要素だ。
オリジナルな人間になるということは、その他大勢の他人との共通点が少なくなるということだ。
共通点が少なくなれば友達も少なくなり、孤独と戦わなければならない。
あの星野源も、「ずっと孤独だった」とあるコラムで語っている。
孤独と戦う覚悟
中学生になり部活を選ぶさい、「自分のやりたいこと」よりも、「友達がいるから」という理由でどこに入るかを決める子供もたくさんいる。
だが彼は部活にも入らず、勉強もろくにせず、自分のやりたいことと真剣に向き合った。
自分の好きなことにウソをつけなかった。
少年にとってそれは、とても大きな覚悟が必要なことだったと思う。
自分が頑張っていることが将来につながるかもわからない中、彼は真剣にゲームに打ち込んでいった。
今でこそ「e-sports」という名前がついて、プロゲーマーという職業が誕生しているが、当時はゲームで生きていける時代ではない。
教師も他の大人も、ゲームばかりしている彼を白い目で見ている。
まわりは敵だらけのなか、彼は好きなことを追求していった。
そこにどれぐらい大きな覚悟があったかは、計り知ることはできない。
②親の覚悟
「もしお前が本気でやりたいことがあるんだったら、いくらでもサポートしてやるから、何か見つけて徹底的にやれよ!」
と梅原大吾の父は言った。
父になったら誰でも言ってみたい、かっこいいセリフである。
が、しかし。
まさか、息子がやりたいことがTVゲームだったとは、この時の彼は想像だにしていなかった。
それでも彼はゲームをがんばる息子を見守った。
「勉強しろ」とは一言も言ったことはない。
これがどんなに凄いことか、子を持つ親ならわかるはずだ。
息子が打ち込んだのは、勉強でもスポーツでもなく、「ストリートファイターⅡ」というTVゲームだったのだ。
応援できる親がいったいどれくらいいるだろうか。
なぜテレビゲームを応援することは難しいのか
しかも梅原大吾の父が息子を応援していた時代は、まだTVゲームが出来て間もない平成初期だ。
「ゲームは1日1時間」
と高橋名人も言っていたように、今も昔も子供が長時間ゲームをすることを親は恐れた。
親が子にゲームをして欲しくない本能的な理由
生物には「遺伝子をつなぐ」という本能が備わっていて、人間も例外ではない。
そのため親は子供に「①健康な体②多くの友人③異性にもてる」ということを求めるものだ。
①健康な体と②多くの友人は「死なない」という生存戦略上大切な要素。
③異性にもてる、というのは遺伝子をつなぐ上で大切な要素である。
だから、親は自分の子供に「勉強しろ」「運動しろ」「体に良いもの食べろ」「だらしない格好をするな」と口うるさく言ってしまうものだ。
TVゲームは、上記で述べた「①健康な体、②多くの友人、③異性にもてる」のどれも手に入りそうにない。
むしろどれもマイナス方向へ失くしていく、親にとっては子供に最もしてほしくない遊びである。
ストⅡが強くても、決して女の子にモテることはなかった。
女の子にモテるのはノーコンティニューでベガが倒せるザンギエフ使いではなく、足が速いサッカー少年だった。
ぼくの友達のザンギエフ使いは、男からは「すごい」と賞賛されていた。
梅原大吾の父は凄い
梅原大吾の父は「子供の好きなこと、得意なことを伸ばそう」という子育てを貫いた。
しかも周りに賞賛される勉強やスポーツではない、テレビゲームでだ。
親や親戚、近所の人、会社の人から色々言われたり、後ろ指さされたことは想像に難くない。
誰にでもできることではない。
すごい、の一言である。
僕らにできること
彼のように子供の好きなことや得意なことを伸ばしてあげたい。
しかしそれは非常に困難なことだとわかった。
僕らに出来ることは何だろうか。
子供に無関心になれば子供のジャマをせずに済むが、それは最も難易度が高く、とても出来そうにない。
梅原大吾の父ばりの「覚悟」と、現状把握が必要そうだ。
未来の職業
今でこそゲームは職業となり得て、賞金やスポンサー契約で多く稼ぐことが可能な時代だ。
強くなくてもゲーム実況動画をYouTubeに流して人気が出れば、それだけで食べていける。
ゲームが仕事になり得る時代だ。
しかしTVゲームが出来たばかりの時代にはゲームはただの遊びで、消費活動だった。
高橋名人は確かにゲームで食べていたが、ゲームが強いことがお金になる時代ではなかった。
10年、20年先の仕事を予想するのは難しい。
みんながただの遊びで消費だと思っていたものが、どんどん仕事になっていく激動の時代だ。
子供のやりたい事が「くだらない遊び」に見えたとしても、1歩ひいた目線で考えなければならない。
両津勘吉にはなれない
両さんはよく小学生とゲームをしている。
ぼくはずっと、両津勘吉のように、大人になっても子供と一緒にゲームを楽しめると思っていた。
10代の感性をずっと保っていられると思っていた。
でもどうやら無理らしい。
男子高校生が毎日やっているらしいスマホゲームの「荒野行動」は1週間で飽きたし、TikTokはダウンロードした日以来見ていない。
ひょこりはんの面白さも全然わからない。
大人になって感性は完全に衰えてしまった。
自覚しなければならない。
どう見てもくだらない、役に立ちそうにないことでも、それをやる子供の目がキラキラとしていれば真剣に考えてやらなければならない。
「自分の感性が衰えているだけだ」
と認めなければならない。
まとめ
「子供の好きなこと、得意なことを伸ばす」教育はかんたんではない。
子供にはもちろん、親にも大きな覚悟が必要である。
それに気づかせてくれた梅原大吾氏に感謝したい。
そして息子がもう少し大きくなったら、こう声をかけてやりたい。
「本気でやりたい事が見つかったらお父さんに言うんだぞ、いくらでもサポートしてやるから。」